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// about_me

About

こんにちは。池田悠助です。 このブログは、どうしても共有したい!みんなに聞いてほしい!ってことをつらつらと書ける場所があればいいなあと思って開いてみたものです。ジャンルは特に制限せず、技術的なことから思想や芸術に広く渡って書けたらいいなと思います。

ブログの執筆を通じて、知的な言葉遣いだったり思考ができるようになることが目標です。目指すは、内田樹さんのレベル。

// background

Philipp Flenkerさん(と彼が影響を受けたDerek Siversさん)のブログに影響を受けて、ここに僕の来歴を記そうと思います。

  1. この世に生を享ける

  2. 物心が付き始める

  3. ピアノを習い始める

  4. Javaを学ぶ

  5. 自分用のデスクトップPCを入手

  6. 地元の中学に入学

  7. コロナ禍・長い春休みが始まる

  8. ラブライブと22/7に傾倒する

  9. 大宮高校に入学

  10. 英語ディベートを始める

  11. 最初で最後の文化祭

  12. 初恋人に振られノイローゼ

  13. 早稲田大学基幹理工学部に入学

  14. クラシックの良さが分かり始める

  15. タップダンスを始める

  16. 情報理工学科に配属

  17. UNSWへ交換留学する

  18. シドニーで親友と出会う

  19. 内田研に配属

// research

現在は、複数のエージェントが相互作用する場の設計を通して、セキュリティを強化することに興味があります。

machine learningagentic AI safety

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books
思想、批評、哲学
likes
読書、ピアノ、R6S
tools
Apple, RemNote, 昇降デスク
mood
quiet, curious, wannabe extrovert

// archive

About Me · Jul 12, 2025

僕が生きる上で心に留めていることを書きます。

疑うことだけは疑わない

公理に則って推論を働かせるとして、何を公理とするべきかと言われたら、僕は「何事も疑うこと」と答えるだろう。何事にも「絶対」というものは存在しない。科学が絶対に正しいわけではない。個人の体験談が絶対に正しいわけではない。哲学が絶対に正しいわけではない。大事なのは全ては程度の問題という思考。

この格律だけは疑うことの対象から外さないと、嘘つきのパラドックスになってしまうので、これだけは公理として認めたい。

追記(2025/07/12)

プラグマティズムに影響されたことを受けて。疑うこと、つまり論理的な検証を行うことの対象から、人間が関わるような、本質的に行動によってのみ正しさが知られる問題=選択を外す。逆に言えば、常に疑うべきなのは「AはBだ」という科学的な(=事物の存在を主張する)命題である。今までの僕は、科学的な命題と道徳的な命題の差異を意識していなかった。

全ては程度の問題

ある意味で「疑うことだけは疑わない」と等価な命題なのかもしれない。つまり、絶対に正しいというものは存在しないのだから、正しさの曖昧な領域がその間に存在するだけである、ということ。だから「全ては」という公理的な言葉遣いをしているのかもしれないし、それを聞いても嫌悪感を覚えないのかもしれない。

アリストテレスの中庸と同じ概念。孔子の中庸とは異なるかな。

この言葉遣いは、僕の好きな音楽家である車田和寿さんがよく使う言葉から引用した。

ただし、いつでも「スペクトラムの思考法」が有用であるとは限らない(これさえも全ては程度の問題)。他のフレームワークにも言えることだが、この考え方が有用である場面と、そうでない場面がある。だから、任意の状況においてこの思考法を当てはめようとする態度は、あまり良いものとは言えない。