「自己を見つめる自己」という概念がある。要するにメタ認知のことで、自分が今何を考えていて、何を感じているのか、ということを認識する概念のことである。
この概念は、瞑想を行うときに際立って重要である。瞑想にもいろいろ種類があるが、その中でもサマタ瞑想と呼ばれるものは、集中力の筋トレのようなものだ。この瞑想では、呼吸などのある一つのものに集中して、気が散ったときにはそれに気づいてまた集中を戻す、というサイクルを繰り返す。このときに、気が逸れたことに気づくのが「自己を見つめる自己」だ。
では、「自己を見つめる自己」が「あ、今気が逸れていたな」と気付いたとき、「あ、いま気が逸れていた、と考えていたな」と考える「『自己を見つめる自己』を見つめる自己」は存在するのか?
僕は瞑想を始めたときにこの問題に悩まされていた。そのような概念が存在するならば、無限後退に陥ってしまって、考えを止めることができないからだ。
実用的には存在してほしくないが、論理的演繹によっても存在しないことを証明できる(「無限後退に陥る」という言葉がほとんど説明しているが)。説明を試みてみよう。
まず、「AはすべてのBよりも大きい」という命題を考える。このとき、AがBに含まれるとすると、AはA自身よりも大きくなければならない。しかし、AはA自身であるから、AとAの大きさは等しい。ここで、二つの矛盾する結論(A > AかつA = A)が導かれたので、仮定は誤っている。よって、AはBに含まれない。
数学の記号を使って説明してみる。前出の命題は と表される。ここで と仮定すると、 が成り立つが、これは誤り。よって仮定は棄却される。
似た例が「無限」である。無限はあらゆる数よりも大きい概念と定義されるが、一般的に無限は数ではない。
一度理解してしまえばなんということはないが「『自己を見つめる自己』を見つめる自己」にもこの議論を適用できることに気づくところが難所だった。数学的思考が日常生活に役に立ったのが嬉しかったので、文章として書き記しておく。