yusuke

Dumb Phoneについて

July 12, 2025

Dumb Phoneというガジェットがある。最近、海外のZ世代の間で流行しているらしい。

Dumb Phoneとは、一言でいうならば、現代のガラケーだ。昔の携帯とは違って、LINEやブラウザなどのアプリは一通り使える。しかし、操作はあまり軽快ではなく、画面もそこまで大きくない。

では、そんな使いにくい時代遅れの携帯がなぜ流行っているのか。彼らの感覚からすると、スマホによって人生が支配されていて、そんなスマホに嫌悪感を持っているからだそうだ。

まあ正直気持ちはすごくわかる。スマホの害については、研究論文でもメディアでも、しごく取沙汰されていて、よく目に入る。僕もできることならスマホはなるべく持ちたくない、と思うことも多々ある。

しかも、スマホ自体をDumb Phoneに変えるという選択は、ある意味で賢明だと思う。スマホを手に持ちながら、YouTubeやInstagramを見ないように耐えようとするのは、ポテチを腕に抱えながら食べないように頑張るくらい無謀なことだ。だから、最初から誘惑がないような環境を作る、という戦略は正鵠を得ている。実際、セルフコントロールというのは、意志力のことではなく、誘惑を事前にどれだけ断ち切れるかという能力のことだ。

しかし、僕にはなかなか10万円以上出して買ったiPhoneを捨てる勇気も出ないので、半年前だかにDumbifyというアプリを入れて、iPhoneを擬似Dumb Phoneにして生活している。そこにOne secOpalというスクリーンタイムを管理するアプリも入れて、徹底的に刺激の源を制限するようにしている。そのおかげか、昔に比べたらだいぶ画面を見ている時間が減ったように感じる。


YouTubeやInstagramなどの刺激を絶って気づくのが、僕が強い刺激にどれだけ過剰に適応していたのかということだ。これらのメディアによるインスタントな刺激に慣れすぎて、ゆったりと本を読んで思想に耽ったり、素材の旨みを噛み締めながら食事をすることができなくなっている。

僕たちは、刺激がありふれた世の中に生きている。InstagramやTikTokなどのメディア然り、ポテチやファストフードなどの食事然り。それらはビジネス化されており、生産会社は利益を最大化するために、どれだけ多くの人に消費してもらえるかに最大の興味を置いている。必然的に、これらは中毒性、依存性を帯びてくる。これら全ての刺激を消費しないよう拒むのは、簡単なことではない。例えば、LINEやInstagramはコミュニケーションを取るための事実上のインフラである。だからそれを手放すということは、社会生活において相応のデメリットを背負うことを意味する。

僕たちは、そのような社会に身を置いていることを自覚する必要がある。