国産AIについて
Sakana Fuguが「国産AI」として、自衛隊の指揮統制に活用される可能性が出てきた。僕もFuguが発表されたときは、遂にOpenAIやAnthropicのモデルに匹敵する性能のLLMを日本の企業が作ったのか!? とワクワクしたのを覚えている。
しかしその実態は、GPT-5.6やFable 5などの他社製高性能モデルを、うまい具合に使い分けているに過ぎない。別に、新たな基盤モデルを一から開発した、というわけではないのだ。
ただし、オーケストレーションというその技術自体がしょぼい、ということがここで言いたいのではない。そうではなく、Fuguがあたかも国産AIとしてニュースで取り上げられていたことが気に食わないのだ。
「国産」という言葉の意味を考えてみよう。国産の玉ねぎは、どんな玉ねぎだろうか? それは、日本で栽培された玉ねぎだ。玉ねぎ自体がどこ発祥だとか、その品種がどこで開発されたとかは、ここでは関係ない。ただ、その玉ねぎが日本国内で栽培・収穫されたのならば、それは国産の玉ねぎだ。
では、国産のAIとはどんなAIだろうか? 同じように考えると、それはAIのモデルがどこで開発されたかとは関係ない。それよりも、AIがどこで「動いているか」が、国産かどうかを決めるのではないか。Fuguを国産AIと形容するのは、世界各地から取り寄せた食材を使って料理を作り、これは国産です、と主張するようなものだ。
つまり大事なのは、どのモデルを使うかではなく、日本としてオンプレミス1でAIを使えるようにすることではないか。現状では、国外からの通信を遮断されると、海外データセンターに頼ったAIインフラは崩壊する。日本として本当にAI主権を確立したいのならば、真の「国産AI」を推進しなければならない。
ただそれは、大規模データセンターを日本にも設置しろ、という意味ではない。このような施設は、資本による専制を許すという意味で、持続可能ではない。アメリカで見られるように、データセンターは周辺の住民や環境に甚大な影響を及ぼすだろう2。同じように、PPP3によるサービスにも疑問符がつく。ではどのようにAIを管理するべきかということは、さらに議論する必要があるだろう4。